所有物でも他人でもなく「そういう人」

所有物でも他人でもなく「そういう人」

こうであってほしい

と人に対して思うことがよくあるけれど、理想的な人はいない。いたとしても、その人が自分の側にいてくれるかはわからない。

だからこそ、誰かを変えることで補完したくなるのかもしれない。

身近な人であればなおさら思いは強くなり、時には悩んだり葛藤する。

伝えたらケンカになるときもあるし、溜め込んでも結局疲れる。

どうすればいいのか?別れる?我慢する?また考えて疲れる。

人間関係のテクニックはあるだろう。実践してみて効果を感じるものもあった。

本の中に書かれている内容の基本は、それらの理想や欲望を叶えてあげること。相手の欲しい言葉や行動をとれば、だいたいは好感を持たれる。

けれど、それが変わるのは表向きだったり、現在や未来だけだ。

根っこの部分で引っかかっているのは、過去も含めて全部だったりする。

理想はアニメとドラマの中

においておこうと思った。人の理想や欲望が叶うからアニメやドラマは面白い。そういうふうに設計されているのだ。

僕たちは、それらを見ることで理想はより美化されていく。

実際の人々は脳が違う別の生き物で、互いに全てが交わることはない。

それぞれに好きなアニメやドラマを理想として持っているバカな人間たちの社会。

 

所有物でも他人でもない

僕たちの周りにいるのはただ「そういう人」なんだ。

友達や恋人、家族、他人といったカテゴリーはあるけれど、それは表向きのただの言葉。

そんな少ないカテゴリーで人間は分けられない。

なので「これが正しい」「自分は悪くない」「自分には愛される価値がある」と当たり前のように思って生きている「そういう人」と認識してみることにした。

状況によっては「そういう変わらない物体」もしくは「変わるかもしれない物体」ととらえてもいいかもしれない。

自分の所有物は自分だけ

そうなると自分を慕ってくれる人に対しても「大切な人」という認識も薄れてくるのだが、それでいいような気もする。

自分の大切なものが傷ついたり、なくしたりすると辛い。だから大切なものを持たないことは、自分を守る手段でもある。

そんな人生は味気ないと思うかもしれないけれど、味のない水は生命に必要不可欠なものであるように、そういったものが心の安全を与えてくれる気がする。

大切なものはできる限り自分だけにしようと思う。

本当に自分の所有物といえるのは自分だけなのだから。

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